20代男性SE~舌がん体験記(ステージⅣ)~

舌がん(ステージⅣ)の検査・治療体験記を書いています。

皮下気腫?なにそれおいしいの?(術後2週間目) ※※閲覧注意!!血が含まる写真があります。

こんにちは、もんもんです。

 

今回は術後2週間目を振り返って、ブログを書いて行きます。

 

そもそも術後2週間目は、管が抜けきったり、気管切開のカニューレも呼吸しやすいものにして問題なければ外していったり、病院内の自由歩行がリハビリ以外で可能になったり、早くやりたかった言語のリハビリが開始されたり、地獄の1週間を耐えたご褒美みたいな週なのですが、『皮下気腫』という状態になっていたみたいで、ことごとくそのご褒美が潰されました.... 笑

 

厳重なベッド上安静を言われ、特別室内にあるトイレでさえ、看護師さん呼んで車いす移動を命じられました。笑

 

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2021年9月7日(火)に、気管切開のカニューレを呼吸しやすいものへと変更してよいか判断するために、CT検査(造影剤なし)をしました。

 

個人的には、もう変更してもらう気満々だったので、「何でCT検査するんだろう?、あんまり必要なさそうだけどう。まあいいや、カニューレ変わると楽になるらしいから楽しみだ!」とこんな気持ちでいました。

 

特別室でのんびり過ごしているときに、S先生が急いで入室してきました。

 

S先生「CT検査の結果、もんもんさんは皮下気腫という状態になっていることが分かりました。皮下気腫っていうのは、字のごとく皮膚の下に気泡がたまってる状態です。もんもんさんは今、首下から胸の上あたりまで、空気がたまっている状態です。この結果に結構慌てているんですけど、なぜかって言うと、この空気が悪さして肺炎になる可能性があるんですよね。加えて、もんもんさんの体は、血液検査のデータから、まだまだ油断できない炎症・病気になりやすい状態ですから。自分で胸の上あたりを触ってみてください。たぶんプチプチという感触があると思います。」

 

私は、自分の胸あたりを触りましたが、プチプチと胸の上あたりから感触?音?みたいなものを感じとりました。

 

S先生「皮下気腫になってしまった原因は、気管切開している状態でむせたときに空気が体から抜け切れずになってしまったことや、気管切開している状態でもんもんさんがリハビリを頑張りすぎたことも考えられます。笑 あの大変残念なお知らせですが、しばらくベッド上安静にします。また、空気を潰す抗生剤を点滴で流します。動くと空気が動くので、あまり動激しい動きをしないでください。トイレ行くときも看護師さん呼んで、車いすで移動してください。看護師さんには私から説明しておきます。」

 

私(ホワイトボード)「分かりました。リハビリやカニューレの交換はどうなりますか?」

 

S先生「言語のリハビリは延期です。動く方のリハビリは室内に来て、太もものマッサージにとかにしましょうか。カニューレの変更も延期ですね。諸々、皮下気腫を治してからですね。ちょっと楽しみを無くすようで申し訳ないですが、頑張りましょう。」

 

私(ホワイトボード)「どれぐらいベッド上安静ですか?早くカニューレを新しいものに変えたいです。」

 

S先生「今週いっぱいと考えていますが、金曜日にCT検査して、結果次第で土曜日にカニューレを変えたりしましょうか。」

 

この日以降、きちんとベッド上安静にし、抗生剤の点滴も実施し、良い子で過ごしました。笑 トイレの時も、部屋内にあるのに歩いて5,6歩ぐらいの距離なのに、ナースコールを押し、車いすで移動していました。その甲斐あって、金曜日のCT検査で皮下気腫の状態がなくなって、土曜日にカニューレを呼吸しやすいものに変えてもらい、院内の歩行も自由の許可が出ました。言語のリハビリも術後3週目から始まりました。

 

ただ、左首の管だけは、不要な血液?リンパ液が出続ける状態だったので、術後4週目ぐらいまでつけっぱなしでした。ちなみに、この管の処置方法は、毎日の朝・夕方に血をサクションで吸い取って、その度に清掃して清潔にして、白いガーゼで保護するといったものです。

 

下記の写真1枚目は、左首に管が入っている状態の写真です。痛そうに見えますが、痛くはありません。ほっぺた?顎下?が左右対称になっていませんが、これは手術の影響で、左首のリンパ節を切除したためになります。

2枚目の写真は、サクションで吸い取った首からの血・リンパ液と気管切開のカニューレの分泌物が混じったものになります。術後2週間目の2,3日分のものです。今見ると、結構血が出てたことが分かります。貧血だったのか、この頃は立ち眩みしてました。

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以上、術後2週間目の振り返りでした。

(振り返りと言っても、ほとんど『皮下気腫』のことでしたが。笑)

 

皆様も胸の上あたりを押してみてください。もし、プチプチと感じたらすぐに病院に行ってください。

日常生活だと、事故で胸を強く打つなどした際にできるそうです。

 

ちなみに、”リハビリ頑張りすぎた”とS先生から言われましたが、確かに2日早く動くリハビリを開始してもらったり、午前と午後に30分ずつのところを約60分ずつやっていたりしていました。笑 アホだったなー 笑

 

今回のブログはこのへんで。

では。

 

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舌の痛みを感じてから手術までの検査内容・治療費を表でまとめています。
以下のブログに載せています。ご参考までに。

ymonmonblog.hatenablog.com

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地獄の術後1週間 ~4,5,6,7日目~

こんにちは、もんもんです。

 

術後4,5,6,7日目の体の状態・感じていたことについて書いて行きます。

左太ももの抜糸をしたり、窒息になって死にかけたり、手術後に初めてシャワーを浴びてリフレッシュしたり色々ありました。笑

 

なお、記憶が定かではなくなってきているので、今までとのブログとは違い、淡々と書いて行きます。笑

 

■術後4日目(2021年9月3日)

この日のイベントは、左太ももの抜糸です。この日も左太ももを動かすと痛みがあったので、この状態で抜糸して問題ないのか?と心配していました。

 

形成外科の先生が特別室に入ってきて、太ももの状態について説明してくれました。

形成外科の先生「もんもんさんの太ももの状態ですけど、手術で皮膚と血管を少し取っています。取った箇所、すなわち太ももの内側は、はがれないように糸で塗っています。そして、外側の皮膚も糸で塗っている二重の構造になっています。もんもんさんは、歩きのリハビリもはじめられてて、糸のほつれもないですし、抜糸していきましょう。早く抜糸した方が、傷跡の残りも少なくてきれいに見えます。」

 

もんもん(ホワイトボード)「抜糸中、痛いですか?」

※術後2週間は話せる状態ではないため、ホワイトボードで会話しています。

 

形成外科の先生「痛くないと思いますよ。」

 

看護師さん「痛いという人はいなかったです。たぶん、痛いというより、怖いの方が勝ちます。私の腕を強く握ってもらってよいですよ!」

 

左太ももの糸は、横向きに短く何本も縫っていました。これを糸切バサミで1本1本切っていきました。実際の痛みですが、痛くはなかったです。強いて言うと、ハサミの先を傷口にチョンっとつけるときだけ、ちょい痛いなーぐらいでした。後は怖さですが、看護師さんの腕を掴みながら抜糸したので、怖さもあまりありませんでした。笑

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■術後5日目(2021年9月4日)

この日は死にかけました。なぜ死にかけたかと言うと、カニューレ(気管切開の管)に痰がつまりにつまって、一時的に呼吸ができない状態になってしまったためです。

 

この日の午前、特別室でいつも通り口腔内をチェック・清掃しているときに、H教授が言いました。

H教授「カニューレから聞こえる呼吸音が、ヒューヒューなってますね。そろそろカニューレを新品のにかえても良いかもしれませんね。」

 

もんもん(ホワイトボード)「どのように変えるのですか?」

 

H教授「今、もんもんさんの喉にあるカニューレを取って、新しいカニューレをハメます。取る時とハメるときに気管に圧力がかかって、むせると思います。ただ、もんもんさんの場合は、痰のつまりはあるものの、日常の『吸引』で次のカニューレを取り付けるまで持つかもしれませんね。もう少し様子を見ても良いかもしれません。」

 

もんもん(ホワイトボード)「このままでいきましょう。」

 

午前中は何事もなく過ごしました。

 

しかし、夕方に事件が起きました。

 

この夕方の日は、処置室(歯医者さんにあるイスや器具などがそろっている部屋)に歩行器を使って向かいました。通常、入院している患者さんは、この処置室で口腔ケアや日々の状態を先生たちと話します。私も歩けるようになったのと、気分転換も意味も込めて、特別室ではなく処置室で治療です。

 

この日は土曜日なので、H准教授・S先生の2人でした。H准教授の指示で、歯医者さんにあるイスに座りました。

 

H准教授「午前中にH教授から話が合ったように、そろそろカニューレを変えても良いと思うんですけどねー。」と言いながら、背中の台を下げました。

 

すると、カニューレの中の痰が良い具合に滑って、カニューレの隙間を埋めて、窒息の状態になりました。私は慌てて暴れだし、その状態を見たH准教授もすかさずにS先生に様々な指示を出していました。

 

私は思いっきり息を吹き出しましたが、呼吸できず、次に思いっきり息を吸ったら、少し隙間ができて、その小さな隙間で小さく震えながら呼吸していました。

 

H准教授は、私のカニューレを外し、サクションという痰を吸うホースを気管の内側に、私の唾液が肺に行かないように、ずっとあてていました。

 

H准教授は、震える私に「大丈夫です。すぐ終わりますからね。」と優しい声をかけてくれてる一方で、S先生を急かしながら指示を出していました。

 

その後、S先生が新しいカニューレを持ってきてくれて、H教授がそれを喉に取り付けてくれて、一時は免れました。

 

この一連の処置が終わった後の私の心境は、「今、先生たちがそばにいてくれたから、すぐに対応して窒息は免れたけども、睡眠中や先生たちがいない時間帯に、この状態になってたら怖い。辛くても『吸引』は我慢して実施しようと心に決めました。

 

■術後6日目(2021年9月5日)

この日は、手術後初のシャワーです。上半身はまだ管が着いている状態だったので、看護師さんの補助付きの下半身だけのシャワーです。

 

シャワーに入る前に、左太ももに防水シールを貼り、首の周りも濡れないようにバスタオルで巻くなどの準備をします。

 

下半身シャワーだけでも、とてもリフレッシュできたので、入れる機会があれば入ったことに越したことはないです。笑

 

■術後7日目(2021年9月6日)

この日は、首に繋がっているドレーン3本のうち、2本(右1本、左1本)を処置室で取りました。

 

ドレーンを取るときの痛みはなかったですが、血の生暖かい感じが肌にどろ~と流れる感じが気持ち悪かったです。

 

また、リンパ節を切除していたので、首にもメスが入っていたわけですが、このドレーンを抜く際に、首の縫い糸の抜糸もしました。この抜糸は、痛かったです。笑 髪の毛を複数本摘ままれて抜かれる感じの痛さでした。

 

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以上、地獄の術後1週間でした。

 

この地獄の術後1週間を振り返ると、『吸引』『暑さ』『睡眠』『食事』の地獄がありました。現在、放射線抗がん剤がはじまって1週間経っています。この1週間、抗がん剤の吐き気やらに襲われ、寝込んでいる日々が続きましたが、地獄の術後1週間を経験したおかげで、「寝返りがうてる、睡眠薬を飲まなくても寝れる、トイレに行くときは自分で行ける、動きたいときに動ける、食べたいものをコンビニで買える」などの点で、気持ちを前向きにして、治療に取り組めています。笑

 

放射線抗がん剤治療については、これから口内炎や皮膚炎やら出てくるそうです。辛い時は、この地獄の術後1週間を振り返ったり、友人に弱音を吐いたりさせていただいて耐えます。笑

 

では。

 

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舌の痛みを感じてから手術までの検査内容・治療費を表でまとめています。
以下のブログに載せています。ご参考までに。

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【後編】放射線・抗がん剤治療に向けて<味覚障害・唾液分泌障害になっても生きる>

こんにちは、もんもんです。

 

今回のブログは、「【前編】放射線抗がん剤治療に向けて<味覚障害・唾液分泌障害になっても生きる>」の続きです。

放射線抗がん剤治療、右側にも放射線を照射すべきかについて、パートナー・両親・手術してくれた先生達と話した内容・心境、これからの放射線抗がん剤治療に向けての意気込みなど書いて行きます。

 

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【ご教授ください!!】

過去に放射線抗がん剤治療を経験した方や有識者の方で、治療中はこれをしておけば体調が楽になる!、退院後の食事・生活スタイルはこう改善した!などの情報をお持ちでしたら、何でも助かりますので、コメントで教えていただけると幸いです。

※ちなみに、私は2021年10月4日(月)に一旦退院しており、次の入院までに何か体に良いことはできないかと模索し、がん細胞に有効である「免疫力」に着目しました。この「免疫力」を向上させるために、毎日2キロのランニング、腸活のために毎朝・夜にヨーグルトの摂取、体内でビタミンDを作るために日光浴、7時間以上に睡眠を実践しています。笑

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【パートナーとの話】        

私事ですが、年が1つ上の方とお付き合いしています。

 

放射線抗がん剤の話をする前に、これまでパートナー(以下、Kさん)にしてきた「がん」に関する話を少し書きます。

 

Kさんには、7月末の診察でがんの可能性があると診断されたこと・8月末の手術で12時間以上の手術をし、そこで舌を切除して、今後の喋り方が変わってしまうこと・病理検査で首のリンパ節に転移していることが判明し、がんステージも上がり、5年生存率が約50%であることなど報告してきました。

 

私は、Kさんと別れたくありませんでしたが、Kさんの今後の人生を考えて、節目節目(手術の前や病理検査後)に別れ話を切り出していました。

 

特に病理検査後の別れ話は真剣に話しました。
私「俺、5年生存率が約50%のステージになっちゃった。これから放射線抗がん剤治療が必要になる。放射線すると味覚障害になったり、抗がん剤不妊の可能性があるんだって。.........色々考えたんだけどさ、俺と一緒にいても、この先どうなるか分からないし、仮に結婚したとしても、いつ再発・転移して働けなくなるか分からないし、治療費もかさむし、迷惑かけるだけだと思う。Kさんの今後の人生を考えたら、ここで別れた方が良いと思う。Kさんには本当に幸せになって欲しい。Kさんは可愛くて気遣いもできて良い人だから、すぐに良い相手見つかるよ。ちょっと考えてみて欲しい。ここでお別れという回答でも当然のことだし、俺に気を遣わなくて良いからね。」

 

Kさんは次のように言ってくれました。
Kさん「もんもんが入院中、私もこの先のこと考えたよ。うーん、この先何が起きるか分からないよね。この先私もがんになるかもしれないし、ここでもんもんとお別れしたとして、次に良い人が見つかるかも分からないし。もんもんは今回こういった状態になってしまったけど......やっぱり一緒にいたいと思う。そばにいて支えたいと思う。あと、もんもんのことを母親に話したよ。そしたら母親は、もんもんとのお付き合いを反対しないで、私が何をしたいかを考えて行動しなさいと言ってくれたよ。それが、もし、もんくんと一緒にいたいなら、お母さんも全力で応援するしサポートするって言ってくれたよ。また、神様は乗り越えられる試練しか与えないから大丈夫って言ってたよ。だからこれから先、大丈夫だよ。」

 

この話しをされたとき、泣きました。笑 
(実際は、他の言葉もたくさんかけてくれました。)

今後のリスクが高いにも関わらず、上記の言葉をかけてくれて、一緒にいたいと言ってくれて、とても嬉しかったですし、心強い存在だと思いました。

 

そのようなKさんに、放射線抗がん剤治療内容について話しました。ここで、放射線を右側にも照射するべきか・抗がん剤不妊の話をしました。Kさんは次のように言ってくれました。

Kさん「右側にも照射することで、再発・転移の可能性が低くなるなら、もんもんと一緒にいてたいし、照射して欲しい気持ちがある。でも、一方で、副作用で味覚障害がひどくなるし、もんもんが食べるの好きなの知っているから、そんなもんもんが味覚障害によって食欲不振になっているところも見たくない。回答になってないよね。不妊についてはあまり心配・気にしてないよ。それはできる状態が好ましいけど。。。放射線は右側に照射してもしなくても、そばにいることには変わりないからね。どっちを選択しても正解だよ。」

 

パートナーと話しての心境は、「Kさんと少しでも一緒にいられるように、味覚障害になっても、普段の生活がしづらくなっても、右側も放射線を照射しよう。そして、再発・転移しない体づくりをしよう。今は心配かけたり気を遣わせたり申し訳分けないけど、治療後にたくさん恩返しをしよう。生きていれば何とかなる。大丈夫、神様は乗り越えられる試練しか与えない。」でした。

 

【両親との話】        

父親・母親に放射線抗がん剤治療の話、右側にも放射線を照射するべきか話しました。

 

放射線抗がん剤治療について話したときは、やはり悲しんでいました。母親は、キレイに生んだ体なのに、手術でメス入れられて、さらに放射線抗がん剤でボロボロにされるのかと悲しんでいました。

 

父親は、右側に放射線を照射するかしないかについては、しない方が良いのではないかという回答でした。

父親「今回、右側に照射するのは予防的な意味だよな?放射線を照射した場合は二度と同じ場所には照射できないんだよな?今後、もんもんは1か月に2回か分からんけど、病院に検査いくんやろ?そこで右側にがん細胞が見つかった場合は、今回の舌がんと違って、早期発見になると思う。そこで、リンパ節切除の手術じゃなく、放射線治療だけで済むように選択肢を残しておいた方がよいと思うな。でも、これは一般人の意見だし、先生とか専門家の意見を尊重すべきかな。」

 

両親と話しての心境は、「心配かけて申し訳ない。生き続けて恩返しがしたい。右側に放射線を照射しようと思っていたけど、確かに右側で今後転移が見つかった場合、適切な箇所に放射線を照射できる選択を残しておいた方が良いかもしれない。あ~、どうしよ。。。。。。」でした。

 

【手術してくれた先生達との話】        

手術してくれた先生達に、放射線を右側にも照射するべきか相談するために、2021年10月18日(月)に、大学病院に向かいました。
※今後の人生に影響する決断で困っていると電話相談したら、わざわざ時間を作ってくれました。

 

先生たちとは、軽くふざけたこと言える程に仲良くなったので、久々に会えるだけでも嬉しかったです。笑

 

H教授がこの日はおられなかったので、H准教授が相談に乗ってくれました。

H准教授「右側も照射した方が良いと思います。もんもんさんだから言いますけど、もんもんさんのがんの悪性度が高いことが病理検査で分かっています。普通の患者さんになら、お若いからがんも元気です!などの表現で伝えますが。現在は右側に転移していない結果になっていますが、放射線科の先生は、がんの悪性度・もんもんさんの年齢・治療経験を踏まえて、右側にも照射した方が良いと言っていると思います。放射線科の先生は、放射線治療した場合の副作用は熟知しているし、その上で右側も照射した方が良いと言っているのには、ちゃんとした意味があると思うんですよね。味覚や唾液のこと心配してましたけど、味覚は戻ると思うし、唾液はマッサージしたり人口唾液で補ったりサポートはするので、そこは心配しなくて良いですよ。」

 

手術してくれた先生達と話しての心境は、「何でも相談できる頼りになる繋がりができてよかった。信頼できる先生達だし、サポートもしてくれるし、何があっても大丈夫だ!右側にも放射線を照射しよう。」でした。

 

【これからの放射線抗がん剤治療に向けて】      

2021年10月15日(金)に保留していた『放射線の照射範囲』について、2021年10月19日(火)に、放射線科の先生に「左右両方ともとことん照射してください。」と回答しました。回答するまでに色々悩み、考えましたが、この時には『味覚障害・唾液分泌障害になっても生きていけば何とかなる。抗がん剤もつらいけど、なるようにしかならない。つらくても、Kさんや両親、友人がいる。そういった人たちに恩返しできるようにするためにも、今はとことん治療しよう!』と決心してました。

 

明日の2021年10月25日(月)から、放射線抗がん剤治療が始まります。どうなるか分かりませんが、どのような状態になっても、少しでも生きれるように、気持ちを高めて治療に励みます。笑

 

次の病院ではPCがあまり使えないので、ブログの更新頻度がたぶん落ちます。が、スキを見て、生存確認報告も兼ねてブログを更新しようと思います。笑

 

では。

 

【P.S.】      

今回のブログに関係ないですが、2021年10月23日(金)~25日(日)で、Kさんが福岡に来てくれて、観光・旅行していました。味覚障害になる前に食べておかないと!状態だったので、スキがあれば食べてばかりでした。笑

 

こんな機会もないですので、今回行ったお店の中で個人的におすすめなお店を適当に4つ程載せます。笑

 

まずは、『やま中』というもつ鍋のお店です。福岡で有名なお店で、もつ鍋の味はもちろん、店内の雰囲気もおしゃれ過ぎて、感動が止まらないお店です。笑

URL:博多もつ鍋 やま中 赤坂店 (ヤマナカ) - 赤坂/もつ鍋/ネット予約可 | 食べログ

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次は、『栗りん』というモンブランのお店です。ここでは、絞りたてモンブランを食べることができます。口に入れた瞬間ふわっと栗の風味・甘さが広がり、一瞬で幸せな状態になれます。笑
※写真は、モンブランを食べようとするKさんの写真です。笑

URL:和栗モンブラン専門店 栗りん 天神店 - 西鉄福岡(天神)/ケーキ | 食べログ

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次は、『はじめの一歩』という海鮮のお店です。ここのお店はどの食べ物も少しお値段張りますが、「お金を出しても食べる価値がある」と思えるものばかりです。このお店のゴマサバは、一度で良いから食べていただきたいです。笑

URL:はじめの一歩 (はじめのいっぽ) - 博多/居酒屋 | 食べログ

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最後に、『極味や』というハンバーグのお店です。佐賀県伊万里牛を使ったレアのハンバーグを焼き石で自分好みの焼き加減で食べることができます。お肉のパンチ力が半端ないです。私は福岡に帰省したら必ずと言ってよいほど食べていますが、いついっても混んでます。笑

URL:極味や 福岡パルコ店 - 天神/ハンバーグ | 食べログ

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【前編】放射線・抗がん剤治療に向けて<味覚障害・唾液分泌障害になっても生きる>

こんにちは、もんもんです。

 

今回のブログは、「地獄の術後1週間」の続きではなく、2021年10月25日(月)から始まる放射線抗がん剤治療について書いて行きます。具体的には、病院から受けた放射線抗がん剤治療の説明、説明中・後の考え・心境などについて書いて行きます。

※最近、ブログを更新できていませんでしたが、考えること(特に放射線抗がん剤治療について)が色々あり、時間がなく更新できていませんでした。

 

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【ご教授ください!!】

過去に放射線抗がん剤治療を経験した方や有識者の方で、治療中はこれをしておけば体調が楽になる!、退院後の食事・生活スタイルはこう改善した!などの情報をお持ちでしたら、何でも助かりますので、コメントで教えていただけると幸いです。

※ちなみに、私は2021年10月4日(月)に一旦退院しており、次の入院までに何か体に良いことはできないかと模索し、がん細胞に有効である「免疫力」に着目しました。この「免疫力」を向上させるために、毎日2キロのランニング、腸活のために毎朝・夜にヨーグルトの摂取、体内でビタミンDを作るために日光浴、7時間以上に睡眠を実践しています。笑

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2021年10月13日(水)に放射線抗がん剤治療を実施していただく病院に行きました。ここで、メリット・デメリット(副作用)などの詳しい説明を受けましたが、デメリット(副作用)について、想像以上につらいものでした。

 

放射線について】        

下記に説明時の資料を載せていますが、総線量60Gyを週5回の合計30回のスケジュールで照射していきます。舌から鎖骨までの範囲を46~50Gyで23~25回照射し(上顎・上の歯は照射範囲外)、首のリンパ節の範囲を10Gyで5回照射する予定です。放射線での想像以上のデメリット(副作用)は、「味覚障害」「唾液分泌障害」です。

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もともと、左側だけに照射するものと思っていましたが、放射線科の先生から右側も同様に照射した方が良いと言われました。実際、次のような会話をしました。

放射線科の先生「もらったカルテを診てね、昨日から考えていましたが、右側も照射した方が良いと思うんですよね。もんもんさんの場合、リンパ節に2個の転移があって、そのうちの1個が節外浸潤していて、これらを単発性か多発性と受け取るかですが、右側に転移しているケースがあるので、予防のために右側も照射した方が良いと思います。」

 

私「右側にも照射した場合、副作用など強くなりますか?」

 

放射線科の先生「なります。右側にも照射した場合の副作用は、右頸部も皮膚炎など生じますが、大きいところで味覚・唾液分泌障害が大きくなりますね。味覚障害について、味覚は戻ってくると思います。ただ現時点の機能を100とした場合、回復しても50~60ぐらいですね。唾液分泌障害については、人間は唾液を耳下腺・顎下腺で分泌していますが、今回の照射範囲に入ってくるので、左右に照射することによって、最悪左右の機能が死ぬ場合があります。もし機能が生き残っていたら徐々に回復していきますが、死んだ場合は、唾液が分泌されない状態の生活になります。」

 

私「左側だけの場合は、味覚・唾液分泌障害は軽減できますか?」

 

放射線科の先生「単純に照射量・範囲が変わるので、軽減できると思います。唾液で言うと左側の耳下腺・顎下腺が死んでも、右側の機能が残っていれば、唾液は分泌されます。」

 

私「今回、放射線を右側にも照射した場合、右側にも二度と放射線治療できなくなりますか?」

 

放射線科の先生「そうなります。放射線を同じ位置に照射しすぎると、脊髄・神経に影響するためです。ちょっと怖いこと言うと、右側を照射したからと言って、右側に転移しない保証はないです。これは左側にも言えることですが。」

 

私「右側にも照射しない選択もできますか?その場合、どうなりますか?」

 

放射線科の先生「できます。選択は患者さんで決定することができます。右側を照射しない場合は、再発・転移していないか、注意深く見てもらうことになります。見つかったら、早期に手術・放射線治療するような形になります。この選択をする患者さんもいます。」

 

私はこの説明時は、右側も照射する内容で同意書にサインをしました。しかし、後日に味覚障害・唾液分泌障害の方のブログを読んでいると皆様とてもつらそうな内容で、また、母親と美味しいお寿司屋でお寿司を食べているときに「この味を感じることができなくなるのか」と思うと悲しい気持ちになりました。

 

放射線の説明を受けてからの心境は、「左側だけ照射しても、がん細胞に関わる箇所は網羅できているから右側は照射しなくて良いだろう。いやいや、自分が想像しているよりもがんの進行が早いし、右側にもがん細胞があるかもしれないから、味覚障害・唾液分泌障害になっても照射すべきだ。ただ、照射すると二度と照射できなくなるし、今後に転移が見つかった場合に、放射線治療もできる選択肢を残すために照射しない方が良いだろう。やっぱし、味覚障害・唾液分泌障害になるのは嫌だ。」という感じで、何が正解か分からずに悩み続けていました。

 

私は、両親・パートナー・手術してくださった先生方の意見も聞いて、自分が納得した上で右側も照射するか決めたいと思い、2021年10月15日(金)に放射線科の先生に電話して、2021年10月19日(火)まで、回答を保留にさしてくださいと話しました。

※後編で、両親・パートナー・手術してくださった先生方と話した内容を書きます。

 

抗がん剤について】        

下記に説明時の資料を載せていますが、シスプラチンという抗がん剤を3週間1サイクル100mlで合計300ml投与していきます。
※「ml」の単位は正しいか、忘れました。笑

 

抗がん剤を投与すると、体内の白血球が低下したり腎機能も下がるため、その場合は投与する日にちをずらしたりするそうです。抗がん剤での想像以上のデメリット(副作用)は、「難聴」「不妊」です。

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難聴については、高い音?など特殊な音が聞こえなくなる可能性があるそうです。聞こえなくなる理由は、抗がん剤の影響で神経がやられてしまうからだそうです。聞こえない状態になると、回復することは難しいそうです。

 

不妊については、2017年度のアメリカの研究で、シスプラチンを400ml投与すると、危険度中レベルで子どもを作ることができない状態になる結果があるそうです。私の場合は、300mlの投与なので、危険度小~中の間で子どもを作ることができない状態になるそうです。もしできる状態でも、抗がん剤投与後は作ることができない状態になり、2年後を目途に徐々に回復するそうです。

 

抗がん剤の説明を受けてからの心境は、「抗がん剤治療は、体調・精神面ともにつらいことは分かっていた。白血球数が低下するのは感染症を引き起こしやすい状態になるので怖い。不妊については、パートナーになんて言おうか、、、」でした。

 

今回はここまでです。後編で、パートナーと話した内容や放射線の照射範囲をどのような理由で決めたかなどについて書いて行きます。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

では。

 

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舌の痛みを感じてから手術までの検査内容・治療費を表でまとめています。
以下のブログに載せています。ご参考までに。

ymonmonblog.hatenablog.com

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地獄の術後1週間 ~3日目~

こんにちは、もんもんです。

 

術後3日目の体の状態・感じていたことについて書いて行きます。

尿チューブを取ったり、食事の量が増えました。

 

■術後3日目(2021年9月2日)

朝6時、いつも通り看護師さんが入室してきて、この日は採血をしました。

※採血は入院中に2、3日に1回ペースで実施します。採血は、血液に含まれる赤血球 数・白血球数、肝機能・腎機能が正常値内か評価するために実施します。この採血の結果も踏まえて、日々の体の状態を観察します。採血で問題が見つかった場合、例えば、肝機能が正常値よりも低い場合は、肝機能を高める薬を点滴から注入する対応をします。

 

朝ごはんを1時間かけて鼻から注入し、『吸引』した後、先生たちが入室し、いつもの処置(口内確認・清掃、皮弁(移植した太ももの皮膚・血管))の確認です。

 

皮弁の確認方法は、通常は先生たちが皮弁を掃除しつつ、目検で色・大きさを確認します。ただし、術後2、3日間は、プラスαでドップラーという機器で、舌と皮弁の血管が繋がっていて、血液が正常に流れているか確認します。もし、血液が正常に流れていない場合は、皮弁が壊死してしまうので、再手術になります。97%再手術はないと聞かされていましたが、まだ要観察期間である3日目なので、ドップラー検査はドキドキです。正常or異常かは、その場で先生が言ってくれますが、この時も正常だったので良かったです。ドップラー検査がなくなるまでは、生きた心地はしなかったです。笑

 

処置後、S先生が残り、「看護師さんから聞きましたが、すごい歩きたいそうですね。痛みは大丈夫そうですか?本当でしたら、ベッド脇に立たせるのも、術後4・5日目からだったんですが。もし、歩くのが気分転換になるのなら、リハビリの先生にも歩くリハビリにしてもらうように言っておきます。ただし、今日は部屋内だけの歩行とします。結果大丈夫そうでしたら、明日からフロアを歩きましょうか。ただし、無理はせんとって下さい。採血の結果からもわかる通り、もんもんさんはとても炎症にかかりやすい状態です。」と言いました。

 

私は頷きました。

 

S先生は続けて、「歩くの自身ありますか?笑 自身あるなら、尿チューブを外そうと思います。管は抜けた方が体の自由も効くし、良いかなと思います。今後、トイレ行く際は、ベット脇にポータブルトイレを設置するので、そこでしてもらいます。トイレしたくなったら、ナースコールで看護師さん呼んでしてください。」と言いました。

 

私は再度頷きました。

 

S先生は続けて、「最後にですね、今日のお昼からご飯の量を倍にします。これによって、食事の時間も倍になります。食事中は逆流を起こさないように、じっとしていないといけないので、2時間じっとしてもらいます。」と言いました。

 

私は嫌だな~と思いつつ、頷きました。

 

S先生退出後に、看護師さんに尿チューブを抜いてもらいました。

抜く前、とても緊張していました。一気に抜くのではなく徐々に抜いて行きました。抜いている際、痛みはなかったですが、何ともいえないもぞもぞ感がありました。抜いた後は、しばらく残尿感が半端なかったです。笑

 

この後、リハビリの先生が歩行器を持って、特別室に来ました。歩行器なしで歩ける自身ありましたが、何もない状態で立っていると、左太ももの痛み・痺れが5秒ぐらいで感じ始めて、まだまだ歩ける状態ではありませんでした。歩行器を使って歩いても、足の痛み・痺れはありましたが、何もしていないよりは気分転換になったので、特別室内だけの歩行でしたが、久々に歩き回りました。笑

 

お昼になり、食時です。このお昼ご飯から体に注入する食事量は倍になっています。これから、地獄その4『食事』になっていきます。何が辛いかと言うと、『食事』中、体の状態を起こした状態かつ首や足も痛みで動かせない状態で2時間じっとしていることです。

 

じっとしていると、お尻が痛くなってきます。痛みを和らげようと自分で立とうとしても痛みで立てません。もし立ってしまうと、鼻からの注入スピードが高さの問題で遅くなり、いつまで経っても『食事』が終わりません。4,5日目に実際にお尻の痛みが我慢できなくて、看護師さんの目を盗んで、立ったりしましたが、注入スピードが落ち、全然食事が終わりませんでした。笑 看護師さんは食事のスピードも管理しているので、あとで途中で立ったことがバレたりして、注意されました。 笑

 

この後は1、2日目と同じ流れで、夕方になって先生たちが入室し、いつもの処置(口内確認・清掃、皮弁(移植した太ももの皮膚・血管))をし、その後に2時間かけて『食事』『吸引』をし、22時になり就寝です。この日から睡眠薬が変わりましたが、管がまだまだついているために、『睡眠』もまだまだ辛かったです。

 

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今回はここまでにします。

 

体を動かせないことが、こんなに辛いことなのかと改めて感じた一日でした。

 

では。

 

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舌の痛みを感じてから手術までの検査内容・治療費を表でまとめています。
以下のブログに載せています。ご参考までに。

ymonmonblog.hatenablog.com

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地獄の術後1週間 ~2日目~

こんにちは、もんもんです。

 

術後2日目の体の状態・感じていたことについて書いて行きます。

 

■術後2日目(2021年9月1日)

朝6時の起床時間になり、看護師さんが入室してきて、両手首の拘束具を取ってもらいました。私は、就寝中に『暑さ』を耐えるために上半身裸でいたので、看護師さんに服を着るよう促されました。が、寝れないストレスと『暑さ』のストレスで私は断りました。看護師さんは「先生に早く来てもらえるように言っておくね。」と言い、『吸引』して特別室を出ました。

 

早く1か月後にならないかな~、辛いな~と思いながら、ドライヤーのスイッチを入れ、『暑さ』を耐えていました。

 

朝9時過ぎにH教授たちが入室してきました。私の口腔内のチェック・清掃、皮弁が壊死していないか・血流が通っているかの確認などの処置をしてくれました。問題ありませんでした。

 

処置後、S先生が残り、S先生が「これから右足の点滴を外します。おそらく午前中に形成外科の先生が来て、左足のドレーンを抜いてくれると思います。なので、立つことができます。しかし、手術後なのでここ2、3日はリハビリの先生が付き添いの時だけ立つことを許可します。あとは、今日のお昼から食事をはじめます。鼻から栄養剤をゆっくり注入していきます。時間は1時間ほどかかります。食事中はベッドを起こして、上半身を上げた状態で注入します。これは、栄養剤を胃に直接入れている形になりますので、状態を起こしていないと、逆流したりして危険だからです。また、食事中は動くのは禁止です。これもが逆流したり、肺炎を起こす危険があるからです。」と言いました。

 

私は頷き、右足の点滴を外してもらいました。意外と痛かったです。抜いた後も、右足に力を入れて動かしたりしても、ジンジンと痛み続けました。

 

朝11時過ぎに、形成外科の先生が入室してきました。左太ももの状態を確認し、左太ももに刺さっているドレーンを抜きました。取った直後は、管が刺さってた箇所から、なま暖かい血がどろ~と出てきました。隣にいた看護師が止血してくれました。痛みは抜いた瞬間だけでした。

 

12時になり、いよいよ食事です。食事するときは、逆流を防ぐために上体をベッドを使って起こしましたが、首・背中の痛みが強く、また気管切開に刺激があり強くてむせたりして、辛かったです。この日の注入量が少な目だったので、1時間動かずでも耐えれました。が、後日から注入する量が倍になり、時間も2時間と倍になり、これが地獄でした。。。。

 

食事後、『吸引』してむせまくった後、ついにリハビリの先生が来てくれました。動きたい欲が半端なかったので、とても嬉しかったです。笑

 

この日は、ベッド脇で立つだけでした。リハビリの先生に補助してもらいながら立ってみると、案の定左足は傷口がズキズキ痛み、右足も点滴してた箇所がチクチク痛み、立つのが辛かったです。しかし、立つことにより、背中をベットから離すことができたので、背中の『暑さ』を分散することができたので、そこは開放感があってよかったです。笑

リハビリ後は、またベッド上安静です。

 

また、この日は扇風機を守衛室に返さないといけなかったので、返す前に父親にLINEでお願いして、卓上サーキュレーターを買ってきてもらいました。すごい嬉しかったのが、リモコン付きのを買ってきてくれたことで、これにより、寝たきりの状態でもサーキュレーターを操作することができました。

 

このまま時間が過ぎ、夕方に先生たちの処置、食事、『吸引』し、そして就寝時間を迎えました。足の点滴・ドレーンが取れていても、寝がえりが打てないので、地獄その3『睡眠』のままです。この日も、睡眠薬を入れても、寝つきが悪く、2、3回は起きて、最終的には、朝4時から起きている状態でした。

 

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今回はここまでにします。

 

術後2日目で、左太もものドレーンと右足の点滴を抜きました。その状態で立ってみると、案の定痛いですが、少し気分転換になりました。

リハビリの先生は、とても優しくて話しやすい先生で、ホワイトボードで会話していましたが、気分良かったです。笑

 

また、食事が始まりましたが、食事は胃に直接注入されるので、味は全く感じなかったです。笑

 

最後に、リモコン付き扇風機は、寝たきりな状態でも操作できるし、自分で風量・風向が調節できたので、本当に助かりました。笑

代謝が良くて汗をかく方・暑がりな方は、入院する際にぜひ持って行ってください。そうでない方も弱風にして風に当たると少し気分転換になるので、ぜひ。

 

では。

 

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舌の痛みを感じてから手術までの検査内容・治療費を表でまとめています。
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ymonmonblog.hatenablog.com

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地獄の術後1週間 ~1日目【後編】~

こんにちは、もんもんです。

 

前回の「■術後1日目(2021年8月31日)」の続きである、地獄その3『睡眠』前から書いて行きます。

 

■術後1日目(2021年8月31日)

ようやく21時を過ぎました。地獄その2『暑さ』は、冷房(22度)・扇風機(強風)・ドライヤー(COLD)で耐えていました。

 

21時30分過ぎに地獄その1『吸引』しに看護師さんが特別室に入ってきました。私は嫌だと体を揺らして抵抗しました。しかし、看護師さんは「寝ている最中に、カニューレ(気管切開の管)に分泌物が詰まって窒息してしまうかもしれない。だからやらないと。」と言い、私は渋々頷き、10分間のネブライザー後に『吸引』されました。
『吸引』は案の定、気管が刺激されまり、眠気も吹き飛ぶぐらいむせまくりました。涙も出ます。

 

その後、主治医のS先生が特別室に入ってきて、「もんもんさん、寝る前に両手をベットに縛っても良いですか?現状、もんもんさんにはたくさんの管が繋がれていて、術後もあるので、一本でも抜けると、大変な状態になります。寝ている最中に不用意に管を手で取らないためにも、拘束具をつけさせていただきたいです。なお、ナースコールは手元に置いておきます。」と言いました。

 

私は、拘束具を付けられても寝てたら気にならないだろうと思い、頷きました。

 

S先生は、「拘束具は、この後に看護師さんの方でつけてもらいますね。後ですね、睡眠薬を用意しています。おそらく、たくさん管が繋がっているせいで寝つきが悪いと思います。とりあえず、22時の就寝時間に一回入れて、夜中に目が覚めるようなことがあれば、ナースコールを押して追加してもらってください。」と言いました。

 

私は、睡眠薬があるならぐっすり寝れるな~と思いつつ、頷きました。

 

S先生が特別室を出ていき、看護師さんが拘束具を私に装着し始めました。装着しながら看護師さんが「ドライヤーは就寝時間は着けるのやめましょうか。火事になる可能性もあるし、危険なので。」と言いました。

 

私は、そうだよな~と思いつつ、一方で就寝中に暑さで苦しみたくない思いが強く、上半身裸で寝させてもらうように、ホワイトボードで要求しました。

 

看護師さんは頷き、上半身の服を脱がしてくれました。
(だいぶ、涼しい感覚になりました。笑)

 

22時の就寝時間になり、睡眠薬を鼻のチューブから入れてもらいました。

 

看護師さんは「睡眠薬の効果が出るまで30~40分ぐらいかかるよ。何かあったら遠慮なくナースコール押してね。」と言い、特別室出ました。

 

私は、寝るぞ!!!と意気込んで目を閉じました。

 

ここから地獄その3『睡眠』が始まりました。

 

ふと目が覚めました。今何時だろうと思い、スマホを探そうとしましたが、スマホはバックの中にあり、痛みで動ける状態ではないこと、拘束具のせいで手を動かすことができなかったので、あきらめました。

 

再び目を閉じました。が、寝付けません。寝がえりをとても打ちたかったですが、できません。このままだとストレスで目が覚め切ってしまうことを危惧して、追加の睡眠薬を注入してもらうために、ナースコールを押しました。

 

看護師さんの方が、「どうしましたか?」と静かに入室してきました。私は、拘束具を外してもらうようにジェスチャーで伝え、外してもらった後に、ホワイトボードで「追加の睡眠薬をください。それと今何時ですか?」と伝えました。看護師さんは「睡眠薬了解。今は、0時過ぎたところだよ」と答えてくれました。
私は0時と聞いて、発狂しそうになりました。

 

追加の睡眠薬を注入してもらい、目を閉じました。
睡眠薬、全然効果ないじゃん。麻酔みたいな強力なやつないのかな」と思いつつ、気づいたら寝てました。

 

ふと目が覚めました。ナースコールを押し、看護師さんに「何時ですか?」と聞くと、「2時30分だよ」と答えてくれました。

睡眠薬をください。と伝えると、看護師さんは「もう睡眠薬は注入できないの。2時までだったら注入できるんだけど。その時間過ぎちゃうと、次の日まで睡眠薬が効いて、歩いてる最中にフラっとしたり、危険だから。入れてあげたいんだけど、頑張って寝てみて」と言い、断られました。

 

私は、そもそも睡眠薬2時までしか注入できないなら、あらかじめ言ってくれよ。そして、俺動ける状態じゃないけん、睡眠薬入れても大丈夫だろうと思い発狂しそうになりましたが、我慢して頷きました。

 

看護師さんが特別室を出ていき、私は寝ようと努力しました。が、寝れません。
それどころか、今まで気にならなかった気管切開での呼吸に違和感を感じ始め、また背中に『暑さ』を感じ始めました。ドライヤーも使えません。

 

我慢の限界すぎて、ナースコールを押し、ホワイトボードで歩かしてくださいと強く主張しました。この時の心情としては、心のむしゃくしゃをどうにかしたくて、体を動かしたかったです。ですが、看護師さんは「立って歩くのは主治医の先生に聞かないとだめだし、今は点滴も繋がってるから歩ける状態じゃないし、我慢してほしい。」の一点張りでした。

 

私は、仕方がないと自分に何度も言い聞かせ、「分かりました。」と頷きました。

 

この後、この状態・苦しみが今後も続くのか、、、寝ることってこんなにつらいことなのか、、、、想像してた以上に辛い、、、、という『絶望感』、背中の『暑さ』、気管切開の『違和感』で寝れない中、2日目の起床時間の6時を迎えました。

 

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今回はここまでです。

 

今回は、地獄その3『睡眠』について、書きました。

動きが制限された状態での『睡眠』がここまで苦しいとは思わなかったです。

普段、寝がえりを打ったり、かゆいところかいたり、鼻で呼吸して『睡眠』できることが幸せのことなんだな~と強く感じた1日でした。笑

 

まさか、1日目だけでここまでブログ書くとは思っていなかったです。笑
ですが、振り返ると、この術後1日目が一番つらかったです。。。

 

2日目からは、管も徐々に抜けていき、体の自由も徐々に効いてきて、1日目ほどの地獄はなくなっていきます。

 

今回も長々と書いてしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

では。

 

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舌の痛みを感じてから手術までの検査内容・治療費を表でまとめています。
以下のブログに載せています。ご参考までに。

ymonmonblog.hatenablog.com

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