地獄の術後1週間 ~1日目【中編】~
こんにちは、もんもんです。
前回の「■術後1日目(2021年8月31日)」の地獄その1『吸引』が終わって、先生たちが特別室から出て行った続きから、書いて行きます。
※『吸引』は、気管切開中、1日3、4回あります。
今回は、地獄その2『暑さ』について書きます。
(私個人的な問題かもしれません。笑)
■術後1日目(2021年8月31日)
麻酔が残っていたのか、ボーっとする時間が続き、ベットに寝た状態のまま、気づけば15時を過ぎていました。麻酔が徐々に切れてきて、地獄その2がやってきました。『暑さ』です。
通常ですと、寝がえりをしたり、上半身を起こしたり、体を動かして体にこもった『暑さ』を逃がすことができます。しかし、私は体にたくさんの管が繋がれており、体を動かすことができないので、『暑さ』がこもる一方でした。ちなみに、足を動かそうとすれば、左足は手術で切りとった左太ももがズキズキ痛み、右足は刺さっている点滴の針がチクチク深くささるような痛みがあります。左右の腕で状態を起こそうとすれば、首がとてつもなく熱くなり、痛みが走ります。
ナースコールを押し、看護師さんに冷房の温度を下げてもらうように、小さなホワイトボードを使って伝えました。これにより、ベットと接している背中以外の厚さは幾分かマシになりました。しかし、背中の『暑さ』は、一向に無くなりません。
少し我慢していましたが、触っていなくても分かるレベルで背中が蒸れはじめ、気持ち悪くなり、我慢の限界で、痛みそっちのけでベット上で暴れていました。笑
暴れている最中に指先につけていた酸素飽和度が取れて、アラームが鳴り、看護師さんが特別室に入ってきて、私が暴れているのを見て、焦っていました。笑
背中の暑さを伝え、背中を触ってもらうと、異常なほど汗をかいていたそうで、さらに焦っていました。
看護師さんは、まず大き目な保冷剤を持ってきてくれました。が、背中全体の暑さはとれず、しばらくしたところで冷たくなくなり、私は再度暴れました。
看護師さん達の中で少し騒動になり、主治医の先生たちを呼びました。先生は「ベッドは、手術後仕様のベットになっていて、敷パッドの部分が厚いスポンジになっています。これは、より安全・安静に寝れるようにするためです。このスポンジを取っても安静にできますか?」と聞いてきて、私は即座に「はい」とホワイトボードに書きました。
先生は「分かりました。」と言い、先生・看護師さん5~6名で私の体を持ち上げ、その隙に、他の看護師さん2~3名で厚いスポンジを取り、普通仕様のベットにしてくれました。また、着ていた病室着も新しいものに変えてくれました。
この際中に、他の看護師さんが、壁に固定する形式の扇風機を守衛室から借りてきてくれました。ベッドの端にガムテープでぐるぐる固定してくれました。本当は背中に風を直接あてる場所に固定したかったのですが、そこに固定できるものはなく、ベッドの端に固定になりました。
先生は「暑さは大丈夫そうですか?」と聞いて、私は「はい」とホワイトボードで答え、先生・看護師の方達は部屋を出ていきました。
私は、「これでしばらくは平和に過ごせそうだ」と思っていましたが、しばらくして、またあの『暑さ』がやってきました。
私は、「ここまでしてくれて、さらに要求するのは申し訳ない」と思い、何か良い手はないかと考えました。
「ああ、あれだ!」と思い、ナースコールを押しました。看護師さんにホワイトボードで、「持参したドライヤーを取ってください。」と伝え、ドライヤーが私の手に渡りました。
ドライヤーのCOLDのところでスイッチを入れ、その風を背中の隙間に送りました。すると、感じていた『暑さ』が少しずつ無くなっていきました。
(ドライヤーでCOLD機能を考えた方に敬意を表しました。笑)
冷房・扇風機・ドライヤーの3種の神器により、『暑さ』問題はどうにかなりました。
看護師さんもこの状況を見て安心していましたが、恐ろしいことを口にしました。
看護師「扇風機は明日に守衛室に返却しなくちゃいけない。また、寝ている最中にドライヤーは火事になるかもしれないから、つけっぱなしにできないよ。」
私の心の声「まじか、、、」
そうこうしているうちに、就寝の時間になりました。
ここから、地獄その3『睡眠』が始まります。。。
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今回はここまでです。
地獄その2『暑さ』について、書きました。
術前、『暑さ』について先生から聞いていなかったので、私の暑がりが問題なのかと思いました。先生に質問したところ、他の患者さんはお年寄りの方ばかりで、暑さより痛みが優先されて、私みたいに暑がったり、暴れたりせず、ずっと寝込んでいるそうです。
手術後は寝ているだけだから、多少何かあっても大丈夫だろうと思っていましたが、まさか『暑さ』で苦しむとは思っていませんでした。笑
(手術後に歩いたり、寝がえりできたら、状況は変わっていたかもしれませんが、、、)
とりあえず、ドライヤーで世界が変わったので、入院する際に暑さが心配な方は、ドライヤーを持参することを強くおススメします。笑
※私は一人部屋だったので、日中つけっぱなしにするとができました。
では。
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舌の痛みを感じてから手術までの検査内容・治療費を表でまとめています。
以下のブログに載せています。ご参考までに。
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地獄の術後1週間 ~1日目【前編】~ ※※閲覧注意 血が含まれる画像があります。
こんにちは、もんもんです。
今回は、術後1週間(2021年8月31日~2021年9月5日)の日々の流れ・体の状態・感じていたことについて書いて行きます。とりあえず、地獄でした。笑
また、今回のブログでは、血が含まれる画像も載せています。
気分を悪くさせるかもしれません。あらかじめご了承ください。
申し訳ありません。。。
■術後1日目(2021年8月31日)
麻酔が切れ、朝6~8時に目が覚めたと思います(頭がボーっとしていたので、記憶が定かではありません)。
目覚めた場所は、看護師さん達がすぐそばにいる、特別室のベットでした。
ベット脇のイスに主治医のS先生が座っており、私が目覚めたのを確認すると、特別室を出て、他の先生・看護師を呼びに行きました。
12時間以上の大手術のせいか、麻酔がまだ残っているのか、頭はボーっとしていて、倦怠感も感じていました。
しばらくすると、H教授をはじめとする、たくさんの先生が入室してきました。
H教授「手術、よく頑張りました。手術は無事に終わっています。今、もんもんさんの体の状態ですが、舌は大きく腫れていて、声は出ない状態です。声は出ない状態の理由は、口内が腫れていることもありますが、唾液が肺などに流れて肺炎を起こさないように、気管切開している箇所に、小さな風船みたいなもので封鎖しているからです。首は、手術後で腫れていて血がたくさん出ている状態なので、テープで固定しています。左太ももは、動かすと痛みがあると思います。その他、鼻から管が入っていたり、足に点滴もついていますが、まあ術前に説明した状態です。」
H教授の説明後、私は、初めに舌の状態を確認しました。舌がとてつもなく腫れていることを認識しました。手のひら大の水風船が口の中にある感覚でした。次に声を出したり、口や鼻から呼吸しようと試みました。H教授のおっしゃった通り、声は出せないし、呼吸もできません。気管切開からの呼吸が生命線だなと認識しました。次に首を動かそうとしました。確かに固定されていて、動かしずらかったです。少し動かしただけでも激痛でした。次に太ももを動かそうとしました。少し動きましたが、激痛でした。じわじわビリビリじゅわ~って感じの痛みで、ナイフで刺されたらこんな感じなのかな~って思ってました。
ちなみに、上半身だけですが、体の状態は以下の画像の通りです。
(術後2日目に撮った写真になります。
髭を剃ることができない汚い状態だったので、画像に加工して消してます。笑
よく見ると、左首舌のとこにもJバックがささってますね 笑
なお、Jバックには不要な血・リンパ液が常に流れています。)
H教授は説明後、「舌の状態を診してください。」と言い、H教授・H准教授・S先生・Y先生・I先生(女性の先生)総出で、口内の清掃と皮弁(移植した皮膚)の色とドップラー(血流を確認する機械)で皮弁に血液がきちんと流れて壊死していないかの状態を確認しました。
個人的には口を大きく開けているものの、あまり開かず、その状態で口の中を器具でカチャカチャされていたので、少し痛かったです。
その後、ネブライザーという水蒸気を発する装置をカニューレ(気管切開の管)に被せました。
具体的な使い方は、以下の画像で言うと、煙(水蒸気)が出ている四角のところをカニューレ(気管切開の管)に被せ、水蒸気により、気管切開の管に詰まっている痰を柔らかくします。10分間被せます。四角に空気の逃げ道があるので、ネブライザー中でも呼吸はできます。
この後が、地獄その1『吸引』です。スイッチを押す音が鳴り、掃除機の吸引する音が鳴ります。音の先に目をやると、細い管がついています。S先生が「ちょっと苦しいですよ。」と言い、細い管をカニューレ(気管切開の管)の中に入れました。私は、吸引中に呼吸ができないこと・気管が締め付けられている感じがしたこと・苦しくて咳き込もうとしても、吸引により空気が上手く吐き出せずに過呼吸な状態になることが重なり、涙目になりながら、S先生に吸引を止めてもらうようにジェスチャーで必死に伝えました。
S先生は手を止めてくれましたが、次のように言いました。
S先生「今回はこれでやめておきますが、この吸引は1日3,4回します。今、もんもんさんはこのカニューレだけでしか、呼吸できていない状態ですよね。人は、肺などから出た分泌物を上へと出そうとします。その際に分泌物がカニューレの穴にこびり付きます。こびりついて分泌物が、呼吸する空間を無くしていきます。すると窒息します。そうならないためにも、ネブライザーで分泌物を柔らかくして、吸引します。」
私は、生きるためには仕方がないと思い、頷きました。
S先生は小さなホワイトボードとナースコールを渡してきました。
S先生は、「何か言いたいことなどありましたら、このホワイトボードに書いてください。後、何かありましたらすぐにナースコールを押してください。」と言い、他の先生たちと特別室を出ていきました。
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長くなってしまったので、今回はここまでにします。
地獄その1『吸引』についてどんな感じかを例えると、皆様は食事中に食べ物が気管に入ると、反射的にむせたりすると思います。『吸引』中は、ずっとその状態です。むせたとき、通常だと、口から咳き込んだり、鼻から深呼吸したりして、落ち着かせようとすると思います。『吸引』中は、口と片方の鼻は閉じられて、もう片方の鼻からしか咳き込みできないようなイメージです。
※実際は、咳き込み中に『吸引』されているので呼吸できないし、『吸引』後は、気管切開箇所がじんじんするので、少しの間の呼吸が苦しいです。。。。
伝わりますかね?笑
では。
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舌の痛みを感じてから手術までの検査内容・治療費を表でまとめています。
以下のブログに載せています。ご参考までに。
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手術直後の状態(管だらけ...) ※図解してます。
こんにちは、もんもんです。
今回は、手術直後の状態について書いて行きます。
(手術内容は以下のブログの赤字で記載しています。)
手術直後は、以下の図のような状態でした。
はじめに、上記に図に載っていない、舌・首・左太ももの状態についてです。
舌は、口の中いっぱいに腫れていて、水風船を口の中に入れている感覚でした。痛みは特に感じなかったです。しかし、違和感はめちゃくちゃあり、ストレスに感じることがありました。
首は、旋回しないように太めのテープが巻きつけられていました。固定されているものの動かそうとすると、痛みがありました。
左太ももは、15~20cmほど縫い合わせた跡があり、その周辺も青あざや内出血している状態でした。動かそうとすると、とても痛みがありました。
※後日、ブログで画像を載せます。
ここからは、上記の図の①~⑦の状態についてです。
①チューブ:鼻から胃までの長さのチューブを、鼻の右穴から入れています。
このチューブに栄養剤を流し込み、栄養を摂取します。
手術中に入れているので、入れたときの痛さはありませんでしたが、
鼻の右穴が塞がれた感じで、呼吸する際、違和感を感じていました。
②Jバック:右首に1本、左首に2本、左太ももに1本繋がっていました。
手術箇所に血やリンパ液が溜まっても、
その箇所から抜けるように血抜きのために繋いでいました。
管が取れると、繋ぎなおしたり、無駄な出血をするなど、
大変なことになるので、日常生活や寝ているときも取れないように
神経使うのが、とてもストレスでした。
③気管切開:口内が大きく腫れていて、鼻や口から呼吸ができない状態だったので、
自分で呼吸するために、喉の気管にプラスチック管が入ってました。
この管からでしか呼吸ができないため、
呼吸しづらく、一番のストレスでした。
看護師さん情報で、この手術をした患者さんも、
この気管切開が一番つらいと言っているそうです。
④酸素飽和度:「③気管切開」から、きちんと呼吸ができて、
体に酸素が取り込まれているか確認するために着けていました。
酸素が一定以上取り込めていないと、ピーピー音が鳴り、
看護師さんが駆けつけてきます。
⑤尿管チューブ:手術後、動けないので、
寝たままでもトイレできるために着けています。
手術中につけたので、痛みはありませんでしたが、
抜くときは、猛烈な違和感と残尿感が続きました。笑
⑥点滴:口内が大きく腫れていて、
鼻や口から水分を摂取できないので、 繋いでました。
また、肝臓機能をよくする薬など、この点滴から投与してました。
⑦フットポンプ:手術後、動けないため、血流を良くするために繋いでました。
マッサージされてる感覚で気持ちよかったです。笑
いかがだったでしょうか?
手術前に上記の図のような管が入ると説明されていましたが、いざなってみると、体の自由が予想以上に制限されていたり、辛さ・違和感だらけで寝れないなど、しんどかったです。。。。
次のブログでは、地獄の術後1週間について書こうと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
では。
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舌の痛みを感じてから手術までの検査内容・治療費を表でまとめています。
以下のブログに載せています。ご参考までに。
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早見表 ~舌の痛みを感じてから手術まで~ ※検査内容・治療費を載せています。
こんにちは、もんもんです。
これまでのブログで少しずつ更新してきた、舌の痛みを感じてから手術までの早見表を載せます。
※治療費については、
社会保険が適用された実際に支払ったおおよその金額を載せています。
※手術代は高額療養費制度を適用したおおよその金額を載せています。
※入院してからの入院費用(ベッド代)・食事代は除いています。
■期間についてのまとめ
・舌に違和感を感じてから、
初めて病院(口腔外科クリニック)に行くまで → 約2か月
・初めて病院(口腔外科クリニック)に行ってから、
手術まで → 約1か月
■治療費についてのまとめ
・手術までにかかった治療費 → 約84,050円
・手術にかかった治療費 → 約110,000円
※高額療養費制度を適用しています。
早見表
日付 | イベント (日常生活の変化、検査内容、検査結果など) |
治療費 |
---|---|---|
2021年6月上旬 | ■左側の舌に違和感を感じはじめる。 | ー |
2021年7月中旬 |
■左側の舌が痛み始める。 |
ー |
2021年7月30日 |
■近くの口腔外科クリニックに初めて行く。
|
約3,600円 |
2021年8月2日 |
■2回目の口腔外科クリニックに行く。
■母親に実家の病院で検査してもらうことを伝えた。 |
約1,800円 |
2021年8月5日 | ■実家の福岡へ出発。 | ー |
2021年8月6日 |
■紹介状先の病院に初めて行く。
|
約16,500円 |
2021年8月10日 |
■紹介状先の病院に行く。 |
約7,700円 |
2021年8月11日 |
■紹介状先の病院に行く。 |
約10,750円 |
2021年8月13日 |
■紹介状先の病院に行く。
|
約2,500円 |
2021年8月16日 |
■九州がんセンターでPET検査 |
約30,000円 |
2021年8月17日 |
■紹介状先の病院に行く。
|
約3,000円 |
2021年8月18日 |
■紹介状先の病院に行く。 |
約2,000円 |
2021年8月19日 | 約2,200円 | |
2021年8月20日 |
■私立大学病院に行く。 |
約4,000円 |
2021年8月26日 |
■紹介状先の病院に入院 |
ー |
2021年8月30日 |
■紹介状先の病院で手術 |
約110,000円 |
【振り返り】私生活において舌がんになった考えられる要因、検査期間中に思っていたことなど ※手術日まで
こんにちは、もんもんです。
今回は、舌がんになった今、思いついた振り返り(私生活において舌がんになった考えられる要因、なぜ舌に違和感を感じても病院に行こうしなかったか、検査期間中に思っていたこと)を書いて行きます。
私生活において舌がんになった考えられる要因
『お酒の飲みすぎ』と『不規則な生活を送っていたこと』が要因かな~と思っています。
私生活で、平日は仕事(SE)で、10時~10時30分の間に出勤し、だいたい21時~24時帰宅という生活を送っていました。また、月に3回は、お客様の大事なシステム処理の起動・終了後に作成データが正しいか整合性の確認などで深夜2時~4時にタクシーで帰宅するというイベントがありました。
とりあえず仕事のストレスが半端なく、もともとお酒(特にビール)が好きというのもあり、毎日ビール500ml~1500ml飲んでいました。笑
休日は、お昼からビールに合う料理を作ったりして、お酒をがぶがぶ飲んでいました。料理を作っていない時でも、1日1500ml以上は飲んでいたと思います。以下の写真は、直近で一番ビールが進んだ、2種類の味付けで作ったから揚げの写真です。笑
(あ~、この時に戻って飲みまくりたい....)
以下の写真は、友達とSwitchの桃鉄をオンライン対戦で遊んでいたときに、飲んでいたお酒の残骸です。こんな感じで休日はお酒をがぶがぶ飲んでました。アホな生活してたなーって思います。笑
舌がんになる要因は、主に喫煙と飲酒とされています。私の場合は、喫煙は生まれてこの方したことがないので、休肝日も作らずにお酒を飲み続けたことが要因の1つかな~と思いました。また、仕事において、お昼ご飯を食べない時や、ストレスで寝れずに睡眠時間が短いなど規則正しい生活を送れていなかったことも要因の1つと思いました。
なお、H教授からは、今回舌がんになった原因は分からないと言われています。
なぜ舌に違和感を感じても病院に行こうしなかったか
『体調管理より仕事を優先してたこと』と『自分の体はタフと慢心してたこと』で、舌の痛みの症状が悪化するまで病院へは行かなかったです。
舌に違和感を感じ、痛みの症状が悪化するまでの仕事は、2つのプロジェクトのリーダーとシステム運用保守でした。
プロジェクトの仕事では、私の下に中国人のブリッジSE(私の指示した内容を理解し、中国にいる作業要員に指示を出す人)の方が1名、中国に2名の作業者(プログラミング・テスト要員)がいる体制で、実施していました。
中国人の方の成果物の質は、認識齟齬のズレ・日本語の間違い・手抜きのテスト・ブリッジSEが作業者の成果物をレビュをあまりせずに提出するなど、あまり良いものではありませんでした。できていないものについては、私が残業して修正したりしていました。
(私の指示の仕方が悪いこともあるので、中国人の方がすべて悪いとは一概には言えません。)
システム運用保守は、システムを導入しているお客様から、「〇〇のデータがおかしい」「××の処理が上手くいかない」などの連絡が入ったら、対応しなくてはいけません。私は、今年から精算・会計のサブシステムの主担当になって対応していました。
(分からない時は、上司に助けを求めていました。笑)
私は、まだまだ未熟で仕事を上手くさばけなかったので、お昼休みの時間を削ったり、普通に23時以降まで残業して、なんとか日々の仕事をこなしていました。
課長から、「リーダーとしてプロジェクトを任しているから、成果物には責任を持て」と言われ、また、上司からは「今年からシステム運用保守を主担当としてるから、なるべく1人で対応して欲しい」と言われおり、私は変に「責任感を持って対応しなくてはいけない」という気持ちになり、体の体調管理よりも仕事を優先していました。
※有休休暇も使おうと思いませんでした。
また、大学院時代も過酷な状況の中でどうにかなった経験もあり、自分の体はタフだと慢心して、舌に違和感を感じても、すぐに病院へは行かなかったです。
父親に「確かに仕事も大切かもしれないけど、体があって仕事ができる。」と言われた言葉を痛感しています。
検査期間中に思っていたこと
『舌がんと発覚してから手術するまで意外と長い』と『両親がいる実家の病院で入院・手術を受けて良かった』です。
2021年8月13日(金)に舌がんであることが分かり、2021年8月17日(火)にPET検査でがんステージも判明したので、正直気持ち的には、翌週の2021年8月23日(月)の週に手術したかったです。結果的には、翌翌週の2021年8月30日(月)に手術になり、舌がんと発覚してから手術するまで意外と長いなと感じました。病院側の都合もあるので、仕方ないですね。笑
※堀ちえみさんは、舌がんが発覚してから約1週間後に手術されています。そのことも知っていたので、余計に長いな~と感じてしまいました。笑
ただ、東京の口腔外科クリニックで、舌がんかもしれないから、大学病院に行った方が良い2回目の診断で判断してくれたことは、とても早くて良かったと思っています。
また、東京の口腔外科クリニックで、入院先の病院は両親の支援が受けられるところが良いと言ってくれたことも良かったです。
※結婚していれば、相手さんがいるエリアで良いと思います。
入院前も車で送ってくれたり、入院中もコロナで外出できないので、欲しいもの(私の場合はサーキュレーター、ニトリのNクールなど)を差し入れとして持ってきてくれたりと、大変助かっていて、両親がいる実家の病院で入院・手術を受けて良かったと感じています。
最後に
今回は、舌がんになった今、思いついた振り返りを書いてみました。
もし、上記以外で気になったこと(例えば、〇〇の治療をしたときの状況を詳しく聞きたい)あれば遠慮なく質問していただければと思います。
早見表は、次のブログで載せます。
では。
いざ、入院!(手術までの入院生活)
2021年8月26日(木)の10時、両親と共に大学病院に行きました。
約1か月半の入院生活のため、キャリーケースやリュックサックなど、大荷物を持っていたため、他の外来の方から、何しに病院に来たんだ?という目で周りから見られました。笑
2階の口腔外科の待合室で待っていると、Y先生が来て、「お待たせしました。5階の方へ、エレベーターを使用して上がってください。」と案内があり、入院先の部屋がある5階に上がりました。
5階へ上がると、看護師さんがおり、「もんもんさんは、荷物を部屋に置きに行ってください。ご両親の方は、こちらの会議室の方へどうぞ。」と案内され、私は部屋に、両親は会議室に向かいました。
部屋は2人部屋を指定していました。手術するまで、もう1人の方は来ないということで、実質1人部屋でした。笑
部屋に荷物を置き終わると、看護師の方から「会議室に来てください。」と案内があり、会議室に向かいました。
会議室には、H教授、H助教授、S先生、Y先生、看護師1名、両親がいました。
机の上には、「手術に関する説明文書と同意書」という9ページの冊子が置いてありました。名前の字のごとく、手術内容に関する説明資料と、最終ページに、手術内容に対する同意書がある冊子でした。
H教授は、この冊子をもとに、確定した手術内容について説明してくれました。
(実際は詳しく説明してくれましたが、)
手術内容は、左側の舌2/3切除・首の左側のリンパ節切除、再建(左太ももの皮膚・血管摘出し、切除した左側の舌に移植)、気管切開の4つです。
手術スケジュールは、朝9時からオペ室に入り、全身麻酔をかけ、その間に足や腕に点滴など実施し、11時から本格的な手術開始で、24時過ぎに終わるというものでした。
手術内容の説明が終わると、同意書にサインし、説明会は終わりました。
手術説明が終わると、『輸血』・『麻酔』・『首のリンパ節切除』など、様々な同意書にサインしました。
『輸血』は、今回の推定出血量が1000mlなので、もしものために輸血しても問題ないか?という同意書でした。実際、輸血はしなかったです。
『麻酔』は、全身麻酔したときに、めまいなどの症状が起きる可能性があります。など注意点を事前に読みました的な同意書でした。術後、特に問題ありませんでした。
『首のリンパ節切除』は、前提として、術前の首のリンパ節は、がん細胞の転移はないという健全な状態とされていました。同意書の内容は、健全な状態健全な状態で切除するが、それは再建手術するために実施するがそれを了承する。”というものでした。実際、術後に取り出したリンパ節から、がん細胞が見つかったので、切除しといて良かったと感じています。
全ての同意書を書き終えると、その会議室から出ました。
コロナ対策ということもあり、両親とはここでお別れしました。次に会えるのは、手術直前の時と、(私は麻酔で寝ておりますが、)手術直後です。ちなみに、両親は、私が手術中、もしものことがあった時のために、手術室の隣の待合室にいるように病院側から指示されています。申し訳なさが半端なったです。
両親とも別れ、いざ入院生活がスタートしましたが、手術日までは特に問題なく過ごしていました。手術までの基本的な入院生活の1日の流れは、以下です。
・6時:起床
・8時:朝食
・午前中:口内チェック・リハビリ
・12時:昼食
・午後:リハビリ
・18時:晩御飯
・夜:口内チェック
・22時:就寝
上記の流れ以外のイベントは、歯科衛生士さんが口内ケアをしてくれたことと、私立大学の近所にいそうなおじちゃん先生が私の太ももにマジックペンで書き書きしに来たぐらいです。
入院中のごはんも至って普通でした。ただ、左舌が痛くて食べるのがつらいな~って感じでした。笑
そんなこんなで、2021年8月30日(月)、手術日になりました。手術前の心境は、以下のブログに記載しております。
手術は無事に成功しましたが、そこから地獄の1週間がはじまりました。。。。
今回のブログはここまでです。舌がん発覚から手術日までの日々をブログとして、たくさん書いてしまいました。どれも内容つまらないものかもしれませんが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
次回は、手術日までの振り返りを感想形式で書きたいと思います。今回のブログ内容を加えた早見表もそこで更新して載せようと思います。
では。
太もも(移植元)の脱毛がめちゃ痛か~でした。※※脱毛箇所の画像あり
2021年8月18日(水)、”入院にあたっての説明”・”健全な首の状態を超音波検査で事前記録”をするために、大学病院に行きました。
入院に当たっての説明は、病院側が用意している入院のしおりみたいな冊子をもとに説明してくれました。特別用意するものは、楽のみ・尿取りパッド・紙おむつぐらいで、楽のみはAmazon、尿取りパッド・紙おむつは病院内のコンビニで購入しました。
2021年8月19日(木)、”PCR検査”・”口腔内のケア”をするために、大学病院に行きました。
”PCR検査”では、綿棒みたいなものを口の中に入れ、唾液を付ける検査でした。このPCR検査で陽性が出た場合は、入院・手術も延期になるため、陰性であれ!!!と願っていました。結果は、陽性の場合は土日に連絡するというものでしたが、陰性でした。
”口腔内のケア”は、歯科衛生士さんが歯医者さんにあるような器具やスポンジブラシを用いて、口の中・歯をきれいにしてくれました。これは、手術時の口の中に汚れが残ってないようにするためです。入院中にも実施してくれます。
2021年8月20日(金)、”移植元の左太ももの状態確認”をするために、大学病院から指定された私立大学病院に行きました。太ももの移植は、この私立大学の先生が実施してくれます。私立大学の先生は近所のおじさんみたいな方で、接しやすかったです。笑
太ももの状態の確認方法は、ドップラー?と呼ばれる機械を使用していました。使用方法は、ドップラーの棒状な方を太ももにあて、もう片方の四角いところから血流の音を聞く、こんな感じです。
※下記はイメージです。
私立大学の先生は、移植(再建)手術について説明してくれました。説明内容は、だいたいはH教授から聞いていた内容でしたが、初耳だったのは、舌に移植した箇所から、普通の太ももと同様に毛が生えてくるというものでした。生えてきた毛は、ハサミで切るそうです。笑
その後、私立大学の先生は、ドップラーを使用して、私の左太もものどこを移植元とするか調べました。ここだ!という箇所にマジックペンで書き書きし始めました。くすぐったかったです。笑
その後、私立大学の先生が「移植する箇所だけ脱毛しようか、移植する際に不衛生な毛はない状態にしたい」と言い、奥の部屋に連れていかれました。奥の部屋のベッドで横になり、脱毛する機械にスイッチが入り、「痛みを和らげる薬を使用しなくても大丈夫だろ、痛かったらしようか」と先生が言うと、脱毛がはじまりました。最初は我慢できる痛さでしたが、後半から痛さに耐えられなくなり、不意に看護師さんの手を握り、「痛い!!」と声を出してしまいました。笑
先生は、「やはり毛が濃いからかね、薬塗ろうか。ちなみに、あちもう半分ぐらい脱毛するよ。」と言い、薬を塗ってくれました。私は心の中で、「薬あるなら初めから塗って欲しい。めちゃ痛いやん。世の中の女性の方はこのような痛みの中で脱毛しているのか。すごいリスペクトする。」と思いました。笑
薬がなじむまで20分ほど待ち、再度脱毛しました。薬を塗っても痛さは変わらなかったです。笑
脱毛が終わると、先生は「頑張った。手術前に入院先の病院に顔出すからね。今から手術日までにマジックペンで書いた目印がお風呂とかで消えてしまうけんね。」と言い、私立大学病院を後にしました。
ちなみに、脱毛した太ももは3,4日、以下の写真の状態でした。
手術日には赤みが減りましたが、それでも赤みは残っていました。笑
上の写真において、マジックペンで書いている箇所を補足すると、写真中心の楕円みたいに囲っている箇所の皮膚・血管と、股にかけて一本線になっている箇所の血管を移植元として取り出します。
また、上の写真をお付き合いしている方に見せたところ、「普通に脱毛してもここまで赤くならない。女性と比較して男性は毛が濃いからかな?あとは、脱毛にしようした機械が古いとか?」など、言ってました。笑
この体験から、ひげ脱毛を考えていましたが、やめようって思いました。笑
早見表 ※更新あり
日付 | イベント (日常生活の変化、検査内容、検査結果など) |
治療費 |
---|---|---|
2021年6月上旬 | ■左側の舌に違和感を感じはじめる。 | ー |
2021年7月中旬 |
■左側の舌が痛み始める。 |
ー |
2021年7月30日 |
■近くの口腔外科クリニックに初めて行く。
|
約3,600円 |
2021年8月2日 |
■2回目の口腔外科クリニックに行く。
■母親に実家の病院で検査してもらうことを伝えた。 |
約1,800円 |
2021年8月5日 | ■実家の福岡へ出発。 | ー |
2021年8月6日 |
■紹介状先の病院に初めて行く。
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約16,500円 |
2021年8月10日 |
■紹介状先の病院に行く。 |
約7,700円 |
2021年8月11日 |
■紹介状先の病院に行く。 |
約10,750円 |
2021年8月13日 |
■紹介状先の病院に行く。
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約2,500円 |
2021年8月16日 |
■九州がんセンターでPET検査 |
約30,000円 |
2021年8月17日 |
■紹介状先の病院に行く。
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約3,000円 |
2021年8月18日 |
■紹介状先の病院に行く。 |
約2,000円 |
2021年8月19日 | 約2,200円 | |
2021年8月20日 |
■私立大学病院に行く。 |
約4,000円 |